しもやんの部屋

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父の葬儀を終えて

2月3日に父が亡くなり、2月5日に葬儀が終わりました。

 

11月下旬から入院して途中回復傾向もありましたが、持病と年齢とワクチンと色々あり弱っていったようです。シータ受講直前にコロナというものに感染したとされ、体調急変するかもと姉には言われていました。いざとなれば受講キャンセルするしかないと内心では思っていたのですが、そのようなこともなく受講は全く気にせず全て参加することが出来ました。

IZUMIせせらぎの仕事を挟んで、池の山荘に復帰した初日、17時過ぎから21時までは一人で勤務。18時過ぎくらいに姉から容態がよくないと電話がありました。ただ一人で勤務中で離れることも出来ません。ただ正直、直感的に間に合わないと思いました。勤務終了次第、病院に向かう準備をしながら、気を紛らわすため携帯を触って平常心を保ってました。その後20時過ぎに義兄から亡くなったと電話で聞き、夜勤の方が少し早めに来てくれたので、21時前には職場を離れて病院へ。姉が先にきていましたので状況を聞くことが出来ました。

本当に急変したようで、駆けつけた姉も話をすることも出来なかったようです。しかもコロナ死にされており、遺体は専用の袋に入れられて顔も見ていないと。また、通常と違って葬儀場へ行く前に火葬をする必要があり、その準備や日程調整がされてました。

頭にあったのが、①ワクチンが原因である証拠をとる②顔を見たいと要求することです。①については何をしたらいいか事前に情報はありましたが、医師に事前に話をする機会もなく病院へ行ったのも夜。そして姉夫婦の仕事の都合など考えると一人で異論を唱えるのは迷惑だろうと思い諦めました。②については姉にも意志確認をしました。姉は頭にもなかったようで混乱してましたが、父の死のショックが大きく顔を見れるかもわからない状態。それでも医師や責任者がくれば争わない程度に一言意見しようと思ってましたが、その機会もなく結局そのままでした。争うことは父は望んでないでしょうし、これで良かったと思います。

2月4日、葬儀場と打ち合わせ。僕が喪主をすることに。僕が精神科に入院していたこともあり姉は心配して代わろうとしましたが、僕がやると言いました。ただ、実務上は僕が何も分からないので姉夫婦にお任せ状態。僕は最後の挨拶を言うくらいです。特に田舎は独自のやり方があり、風習があるので色々大変です。

昼過ぎに火葬場へ。親戚の方と久しぶりの対面。そこでも初見の方もいました。コロナ初期より多少緩くなって袋越しではあるものの父の顔も見れました。そして、姉が施設から母を連れてきたので何年振りかわからないくらい、久しぶりに母と再会しました。アルツハイマーと診断されて会話も出来なくなり、僕のこともわかったかどうか不明ですが、手を握って歩いてくれましたし父の顔も見ました。表情は変わりませんし声も出せませんが、きっと何か伝わったと思います。

 

2月5日が葬儀。前日から葬儀の挨拶は頭で考えていたのですが、一応文章化。葬儀場に着いて、心配した姉が事前に見せてといいましたのでスマホに入れままの原稿を見せましたが、いたく感動したみたいで、喪主をやってくれてよかったと言いました。僕にはそれで充分です。葬儀に来られる方、相変わらず顔では判別出来ません。ただ名乗ってくれる方が多く、子供の頃から知っている人の記憶は多少蘇りました。

葬儀は無事に進み、唯一の出番の挨拶。原稿見ながらですが、やっぱり涙が出るので読めません。ただ自分の気持ちを書いたので頭にはしっかり入っていて言いたいことをきちんと言えました。参列した親戚の叔母2人から、良かった、涙が出たと言ってくれたのでよかったです。

書いていること以外にも色々ありました。色々大変なことばかりで、姉夫婦には頼りっきり。ただ、自分がいるだけで役に立ってる部分はあり、姉も感謝してくれているのはよくわかりました。

 

明日はお寺に行って、その後の法要の予定が決まったりします。僕一人の世界、価値観なら必要ないことも多いのですが、色々なことも経験です。

 

先にLINEグループに投稿したこともあり、色々とお気遣いのコメント、ありがとうございました。仕事は金曜日まで休みをもらったので、その間に色々手続きなど済ませたいと思います。

また、葬儀を通じて色々と知ったこともありますので、その辺りは後日のブログで書こうと思います。